
赤羽です。こんにちは。
前回は、
【相手に求め過ぎる】よりは、
相手を
【理解してあげる】
【わかってあげる】
という想いになり行動してみては?
というお話をしました。
そして、
まずは、何気ない日常の対話から
振り返ってみませんか?
と、お伝えしました。
では、今回は、
お約束していました具体例の紹介です。
以前も、ご紹介したことがありますが、
スティーブン・コヴィー博士の
「7つの習慣」から引用し紹介します。
まずは、こちらをお読みください↓
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「ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験したパラダイム転換を私は忘れることができない。
乗客は皆、静かに座っていた。
ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。
全ては、落ち着いて平和な雰囲気であった。
そこに、ひとりの男性が子供たちをつれて車両に乗り込んできた。
すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの雰囲気は、一瞬にして壊されてしまった。
しかし、
その男性は私の隣に座って目を閉じたまま、周りの状況に全く気づいていない様子だった。
子供たちはといえば、大声を出したり、物を投げたり、ひとの新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しいく気に障るものだった。
ところが、隣に座っていた男性はそれに対して何もしようとはしなかった。
私は、いらだちを覚えずにはいられなかった」
中略
「彼に向かって非常に控えめに
『あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか』と言ってみた。
彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気づいたような表情になり柔らかい、物静かな声でこう返事した。
『ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと…。たった今、病院から出てきたところなんです。
一時間ほど前に妻が……。
あの子たちの母親が亡くなったものですから、いったいどうすればいいのか……。
子供たちも混乱しているみたいで』
その瞬間の私の気持ちが想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。
突然、その状況を全く違う目で見ることができた。
違って見えたから違って考え、違って感じそして、違って行動した。
今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。
自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。
私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれでたのである。
『奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。 私に何かできることはないでしょうか』
一瞬にしてすべてが変わった。」
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引用は、ここまでです。
いかがでしたでしょうか?
子供を注意しない父のエピソード。
私のコメントもあまり必要ないかもしれませんね。
このエピソードは、何回読んでも
気づかされるものがあります。
★すべての行動には目的があります。
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その行動は、いつもその時最善の選択
とされています。
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後からは、後悔することもあります。
でも、そのときは、その選択は、最善。
しかし、
今回のエピソードのように、どうして子供たちは騒いでいるのか?
どうして父は注意しないのか?
本人に聞かないとその目的は分かりません。
でも、
時には、その目的も本人にも
分からいこともあるでしょう。
「どうして〇○したの!」
「何回言ったらわかるの!」
と言われて、恐怖を感じてしまったら
本人は、冷静にその行動の
“本当の本当の”目的
を探る時間を持つことが
できないでしょう。
★あなたも経験ありませんか?
食べてはいけないと分かっていても
食べてしまうこと。
あるいは、
逆に、
やらなきゃいけないと思っても
やらないこと。
この時は、
思考
と
行為
が一致してません。
こんな時には、不快な感情になりそうですね。
そんなときほど、ゆっくり
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自分を感じ、
自分を思い、
自分で考える
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ひとりの時間を持つこと、
そして、
それらを話す機会が持てると
その答えに気づやすくなるでしょう。
★他人の行動をみて、自分が不快な気分になったとき
その時できることは、
相手の行動の理由を考えること。
そして、気になったら聴く、
聴く。。。
しっかり、心の声を聴く。
それは、自分に対しても同じ。
不快に感じたら『聴く』
そんなマイルールを作り
実践してみてはいかがでしょうか?
「子供を叱らない父」に出合っても
冷静に対応できる人が増えると
温かな関係が広がると思いませんか?
腰痛を感じても同じですね。
すべての人々の素敵な笑顔のために。