【ILPT便り】第234回『 問題解決を支援してくれる〇〇とは?』

赤羽です。こんにちは。

今回は、大卒1年目の私が大手建設会社を辞めて、
理学療法士を目指したエピソードを書いてみました!
 
ちょっと、長文になりますが、
良かったら、是非。
 
今抱えている、問題解決などの参考になれば幸いです。

===
 
時は、1990年。
 
私は、大学で建築を学び、大手建設会社に就職しました。
当時は景気も良く、新入社員としてはあり得ないくらいの給料ももらっていました。
 
配属先は、千葉・幕張のBMW本社ビルの新築工事で、
一緒に働いていた社員8名の方々は、みな温かく、現場を盛りあげていました。
職場環境としては、非常に恵まれていたと思います。

しかし、
 
私は、その仕事に行くのが辛く、感謝や幸福感を感じることは、ほとんどありませんでした。
 
その年の7月24日。気分転換に自転車通勤を始めた初日の帰り道、千葉の国道14号線で、自分の不注意により自爆事故を起こしてしまい、緊急入院をなり「左腕神経叢引き抜き損傷」と診断されました。
 
左腕は、ほどんど上がらなくなっていました。
 
2か月ほどのリハビリをして、仕事に復帰。
その時には左肩関節の動きは、半分くらいまでしか回復していませんでした!

その後、千葉の病院に通院したとき、待合室の横の表札に目が止まりました。

「スポーツトレーナー?理学療法士?なんだ?トレーナーと理学療法って・・・」
「スポーツが仕事にも活かせるのか?」

「待てよ!」

「俺が「本気でやりたい」と思える仕事って、なんだろう?」
「今まで、俺は、自分で本気で選択してきたんだろうか?」

スポーツトレーナーという表札を見ながら、考えていました。

「そういえば、子供のころから、スピードスケート、野球」
「大学では、アイスホッケーとトライアスロン!燃えていたな!」
  
「いつも、俺は自分の体を鍛え上げるために、自分でトレーニングメニューを研究し、一人黙々とトレーニングに打ち込んできたじゃないか!」

「俺は体を鍛えること、整えることに誰よりも興味を持っていたじゃないか!」

「でも、なぜ、建設の仕事についたんだ??」

「そうだ!大学進学に悩んだ時に、親友のお父さんの大工の仕事をアルバイトで手伝ったんだ。その時に「建築って楽しいかも」「俺に向いているかも」って、多少興味を持った程度で建築の仕事についたんだ。」

「俺、これまでの人生で、夢とか将来のこととか、誰にも話したことなかったなぁ」

まだ治りきっていない左腕に、力がみなぎる感じがしました。
  
「そうだ、両親や兄貴に話してみよう!」
「会社の同僚や上司に話してみよう」と思い、

長野の実家にいる、兄に電話しました。
 
★★

私:「兄貴、俺さ、まだ就職したばっかりだけと、仕事辞めて、リハビリのこと学んでみようと思うんだ」

兄:「まだ、就職1年目だから3年はやってみないとわからないだろう」
「石の上にも三年っていうだろう。もうちょっとがんばってみなよ」

私:「そうか・・・やっぱり1年で仕事を辞めるなんて、俺がおかしいのかな」

会社の上司にも相談してみました。

上司:「今まで一緒の現場で働いていた仲間が、途中で辞めていったことはないんだ。赤羽がいなくなったらさびしいな~」

私:「確かに、俺がいなくなると、他のスタッフの仕事が増えるのは申しわけないなぁ」

兄にも、上司にも説得されました。
 
そこで、

「自分が本当にやりたいことって何だろう?」と、
人生で初めて真剣に考えました。

★★

その時、気づいたんです。 

敵がいることのありがたさに。

反対してくれる人がいるからこそ、本気で考えることができる。
敵がいるおかげで、自分自身と本気で向き合えること、に。

野球、スピードスケート、アイスホッケー、多くのスポーツでは、敵がいます。
敵がいるからこそ、真剣に取り組み、勝つために努力をします。

どうすれば兄が納得してくれるだろうか。
どうすれば上司を納得させることができるだろうかと、

独身寮で一人、ノートを広げながら真剣に考えていました。
 
★★

およそ2週間後、もう一度、兄、そして上司に話をしました。

「今まで人生、本気で選択してこなかったんです。だから今回は真剣に考えました。
 
そして、決めたんです。
 
リハビリテーションを本気で学びたいんです。リハビリテーションを学んで、苦しむ人のサポートをしたんです。だから今の仕事をやめます」
 
★★

自分で本気で考え、選択した。

だから、
 
その後どんなにつらいことが起こっても、以前のように、ひとりで部屋に籠って悩んだりすることは随分減りました。

敵がいるからありがたい!

でも。

本当の敵は、案外近くにいるかもしれません。
 
〇〇。