【ILPT便り】第202回『“良い人”が集う家族の意外な注意点とは?』   


最近一週間を振り返り、関わる相手に対して、
 
・自分の思い通りにしようとして褒美で釣りたくなったこと…
 
は、ありませんか?
 
 あるいは、
 
 ・批判したくなったこと
 
 ・責めたくなったこと

 ・文句を言いたくなったこと
  
 ・ガミガミ言いたくなったこと
 
 ・脅したくなったこと
 
 ・罰したくなったこと
 
は、ありませんか?
 

 

 
きっと、そのようなことは多少はあったのではないでしょうか?
 

 

 
でも、その時に、
 
 ●どんな言葉を発するか
 
 ●どんな行動をとるか
 
 ●どのように考えるかは、

自分で選択できるものです。
 
つまり、セルフコントロールできるものですね。
 
セルフコントロールできることと、セルフコントロールできないこと
どちらに注目して、過ごすかで家庭内の会話や、自分の感情の状態も変わってきます。

今回は、家庭内の会話を例にあげて、【関わり方】の基本を確認していきましょう!

 

◇覚えましょう!「外的コントロール心理学」3つの信条

 
 
そもそも、なぜ、
 
・自分の思い通りにしようとして
 褒美で釣りたくなったり
 
・批判したくなったり
 
・責めたくなったり

・文句を言いたくなったり
 
・ガミガミ言いたくなったり
 
・脅したくなったり
 
・罰したくなったり
 
するのでしょうかね。
 
 ・・
 
 ・・
 
もし、

「あなたは、今そう思っているんですね」
 
「あなたは、それがしたかったのね」
 
とニュートラルに受け止められたら、感情も変わってくると思いませんか?
 

 

 

 
では、
 
その背景を、選択理論心理学でいわれている「外的コントロール心理学」の考え方でみていきましょう。
 
外的コントロール心理学は、
 
1.人の動機付けは外側から
 
2.相手は変えられる
 
3.自分は正しい。相手は間違っている(相手を正すことは正しい)
 
という考え方です。
 
シンプルですが、いつもこの視点で自分を振り返ることは非常に効果的です!
 
これらの信条は、「人間関係よりも自分の願望に固執している」とされています。
 
『関係』<『自分の願望』です。

ちょっと言い方を変えると、

・自分は、良い 
 
・相手は、悪い
 
という考え方になっています。
 
でも、これを続けているとお互いが不幸になってしまいます。
 
つまり、人間関係が破壊していくというこです。

 
 
◇内的コントロール心理学

 
 
そこで、
 
登場するのが、内的コントロール心理学(選択理論)の考え方です。
 
その3つの視点は、
 
1.人の動機付けは内側から
 
2.相手は変えられない
 
3.人の上質世界(願望)はそれぞれ違う
 
というもの。
 
この考え方に基づいていると
 
「それぞれの願望よりも、間にある人間関係の維持・改善を優先する」
 
とされています。
 
『関係』>『自分の願望』です。
 
お互いの心の距離を遠ざけず、近づけるため、そして、関係をより良くするために、
 
 「私が、今、できることは何か?」
 
 あるいは、
 
 「私が出来たことは何だったのか?」
 
 「私が今後できそうなことは何か?
 
と、
 
 現在、
 
 過去、
 
  そして、
 
 未来 
 
に向けて、相手を批判することよりも、
 
自分が「できた」、「できる」、「できそう」

なことを考えていると言えるでしょう。
 

では、ここで、
 
「HSコーポレション星野修の想い・志」のブログより、寓話を一つ紹介します。  
 

 
◇悪者ぞろい家は、幸せ?不幸?

 
  
「座右の寓話」 戸田智弘著

 ― 悪者ぞろい家 ー

▼ここから引用
 
ある村の話である。
 
二軒の家が隣り合わせで暮らしていた。
 
一軒の家は七人家族であったが、七人はいたって仲睦まじく、争いごと一つ起きなかった。

もう一軒の家は三人家族でありながら、毎日喧嘩が絶えず、みんなが面白くない日々を送っていた。
 

 

 
あるとき、三人家族の主人が、七人家族の家を訪ねて聞いた。
 
「お前さんの家は家族が大勢いるのに、喧嘩一つしたことがないと聞く。
  
わしの家はたった三人の家族だというのに、毎日喧嘩が絶えず、修羅場のような有様だ」
 
「どうしておまえさんの家は、そう仲良く暮らせるのですか?」
 
七人家族の主人は

「それは、こうなんでしょう。私どもの家は悪者ばかりの寄り合いですのに、あなた様の家は善い人ばかりのお集まりだからなんでしょう」という。
 

 

三人家族の主人は合点がいかなかった。

「どうも分かりませんね。七人も悪者が揃っていれば、いよいよ喧嘩が募るはずでしょう」
 
「悪者ばかりだから喧嘩が無いというのは、どういうわけですか?」
 

 
・ 

「いや、何も難しいことはありませんよ。たとえばですね、火鉢が転んでも、茶碗が割れても、
 
みなが
 
「それは私が悪かった。いや不注意だった。いやいや私の軽率であった」と、お互いがわれ先に悪者になる競争をします。だから喧嘩の起こりようがないのです。
 

 

 
ですのに、あなたの家ではこれと反対で、何か間違いがあると、みんなが善い人になろうとなすって、
「俺は知らぬ、貴様が悪い」とお互いが罪をなすり合いをするでしょう。
 
火鉢が転んだとしても、「貴様がこんなところに火鉢を置くから、俺が蹴倒したのも無理はない。暗がり部屋に、ものを言わぬ火鉢を置くなんて馬鹿がいるか」と善い人になろうとするに違いない。」
 
「茶碗が棚から落ちても割れても、もともと棚の造りが悪いからだ。棚に置いた落ち度はない。誰がこんな粗末な棚を造った?」と叱りたて、自分の罪をのがれようとするに違いない。
 
「だから、喧嘩の絶えることはありません。」
 

 

「私の家で競って悪者になり、あなたの家では競って善い者になろうとする。」
 
「その結果、私の家では争いごとが起こらず、あなたの家では争いごとが絶えないのでしょう」
 

 

 
こう言われて、三人の家族の主人はなるほど合点し、目を覚ました。

それ以来、互いに譲り合うことに努め、円満な家庭になったという。
 

 
◇「悪かった」より「自分にできること」

 
 
いかがでしょうか?
 
いろいろなことを感じたかと思います。
 
私が、思ったのは、悪者という表現。
 

 

 
場合にもよりますが、悪い、という表現を使うべきか否か。
 

 

 
なぜなら、
 
全ての行動は、その時はそれが最善と思ってやっているので。
 
その行動を、どんな理由で、どんな選択をしたのか?
 
「私の不注意だった、私が軽率だっと」の選択は、どんな理由だったのかな?を、振り返っていけばいいのかとも思います。
 
自分を“悪”と評価してしまって、不必要に自分を
 
 批判したり、
 
 責めたり、
 
 罰したり
  
してしまっては、勿体ないのかな?と感じました。
 
…。
 

 
◇今日のまとめ

 
 
日常生活を送っているとさまざまな場面で予期せぬことが起こり、不快な感情になることもあるでしょう。
 
そんなときに、いつも
 
 自分 や 相手を
 
 正しい、間違っている と
 
評価するべきか慎重に判断し、
 
 かつ、
 
自分ができた、できる、できそう

なことを考えていくと、自分との関係も含めて、人間関係の維持・改善を優先した関わりになっていくと思っています。
 
いかがでしょうかね?
 

すべての人の素敵な笑顔のために!
 
ILPTでは、腰痛を切り口に「対人関係」を探究していきます。
 
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 出展ブログ;HSコーポレション星野修の想い・志 より
 
 参考文献:ラジオ「幸せを育む素敵な人間関係」宇都宮 民・愛媛選択理論研究会
 
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対話的腰痛アプローチ 
Interactive Low back Pain Technology(ILPT) 
主宰 赤羽 秀徳 
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