–●○ ILPT主宰 赤羽秀徳  ○●–
 

最近一週間で、ある人を
 
・批判したくなったこと
 
・責めたくなったこと

・文句を言いたくなったこと
 
・ガミガミ言いたくなったこと
 
・脅したくなったこと
 
・罰したくなったこと
 
・自分の思い通りにしようとして
 褒美で釣りたくなったこと…は、
 

ありませんか?
 

 

 

 
きっと誰でも、
少なからずそのようなことは
あったのではないでしょうか?
 

 

 
でも、その時に、
 
どんな言葉を発するか
 
どんな行動をとるか
 
どのように考えるかは、

自分で選択できるものです。

 
そんな時の指標は?


 
そもそも、なぜ、
 
・批判したくなったり
 
・責めたくなったり


 
そもそも、なぜ、
 
・批判したくなったり
 
・責めたくなったり

・文句を言いたくなったり
 
・ガミガミ言いたくなったり
 
・脅したくなったり
 
・罰したくなったり
 
・自分の思い通りにしようとして
 褒美で釣りたくなったり
 
するのでしょうかね。
 
・・
 
・・
 

「あなたは、今そう思っているんですね」
 
「あなたは、それがしたかったのね」
 
とニュートラルに受け止められたら、
感情も変わってきませんか?
 

 

 

 
では、
 
その背景を
選択理論心理学でいわれている
「外的コントロール心理学」
の考え方でみていきましょう。
 
外的コントロール心理学は、
 
1.人の動機付けは外側から
 
2.相手は変えられる
 
3.自分は正しい。相手は間違っている(相手を正すことは正しい)
 
という考え方です。
 
これらの信条は、
「人間関係よりも
自分の願望に固執している」
とされています。

ちょっと言い方を変えると、

・自分は、良い、
 
・相手は、悪い
 
という考え方になっていますね。
 
でも、これを続けていると
お互いが不幸になっていてしまいます。
 

 
◇内的コントロール心理学

 
 
そこで、
 
登場するのが、
内的コントロール心理学(選択理論)の
考え方です。
 
1.人の動機付けは内側から
 
2.相手は変えられない
 
3.人の上質世界(願望)はそれぞれ違う
 
というもの。
 

この考え方に基づいていると
 
「それぞれの願望よりも、間にある
人間関係の維持・改善を優先する」
 
とされています。
 
お互いの心の距離を遠ざけず、近づけるために
 
私が、今、できることは何か?
 
あるいは、
 
私が出来たことは何だったのか?
 
私が今後できそうなことは何か?
 
と、
 
現在、
 
 過去、
 
  そして、
 
    未来 

 
に向けて、
 
相手を批判することよりも、
 
自分ができた、できる、できそう

なことを考えていると
言えるでしょう。
 

では、ここで、
 
「HSコーポレション星野修の想い・志」
のブログより、寓話を一つ紹介します。
 
 


◇悪者ぞろい家は、幸せ?不幸?


 
「座右の寓話」 戸田智弘著

 ― 悪者ぞろい家 ー


 
ある村の話である。
 
 
二軒の家が隣り合わせで暮らしていた。
 

一軒の家は七人家族であったが、
七人はいたって仲睦まじく、
争いごと一つ起きなかった。

 
もう一軒の家は三人家族でありながら、
毎日喧嘩が絶えず、みんなが面白くない日々を送
っていた。
 

 

 

あるとき、三人家族の主人が、七人家族の家を訪ねて聞いた。
 

「お前さんの家は家族が大勢いるのに、
喧嘩一つしたことがないと聞く。
  
わしの家はたった三人の家族だというのに、
毎日喧嘩が絶えず、修羅場のような有様だ」
 

「どうしておまえさんの家は、
そう仲良く暮らせるのですか?」

 
七人家族の主人は

 
「それは、こうなんでしょう。私ども家は悪者ばかりの寄り合いですのに、あなた様の家
は善い人ばかりのお集まりだからなんでしょう」

という。
 

 

三人家族の主人は合点がいかなかった。

「どうも分かりませんね。
七人も悪者が揃っていれば、
いよいよ喧嘩が募るはずでしょう」

 
「悪者ばかりだから喧嘩が無いというのは、
 どういうわけですか?」
 

 

  

「いや、何も難しいことはありませんよ。
たとえばですね、火鉢が転んでも、茶碗が割れても、
 
みなが
 
「それは私が悪かった。いや不注意だった。いやいや私の軽率であった」と、
お互いがわれ先に悪者になる競争をします。
 

だから喧嘩の起こりようがないのです。
 

 

 

ですのに、あなたの家ではこれと反対で、
何か間違いがあると、みんなが善い人になろうとなすって、
「俺は知らぬ、貴様が悪い」とお互いが罪をなすり合いをするでしょう。
 

火鉢が転んだとしても、
「貴様がこんなところに火鉢を置くから、
俺が蹴倒したのも無理はない。暗がり部屋に、
ものを言わぬ火鉢を置くなんて馬鹿がいるか」と善い人になろう
とするに違いない。」
 

「茶碗が棚から落ちても割れても
「もともと棚の造りが悪いからだ。棚に置いた落ち度はない。
誰がこんな粗末な棚を造った?」と叱りたて、
自分の罪をのがれようとするに違いない。」
 

「だから、喧嘩の絶えることはありません。」
 

 

 
「私の家で競って悪者になり、あなたの家では競って善い者になろうとする。」
 

「その結果、私の家では争いごとが起こらず、あなたの家では争いごとが絶えないのでしょう」
 

 

 
こう言われて、三人の家族の主人はなるほど合点し、目を覚ました。

 
それ以来、互いに譲り合うことに努め、円満な家庭になったという。
 

◇悪かった より、自分にできること


 
いかがでしょうか?
 
いろいろなことを感じたかと思います。
 
私が、思ったのは、
 
悪者
 
という表現。
 

 

 
場合にもよりますが、
 
悪い、という表現を使うべきか否か。
 

 

 
なぜなら、
 
全ての行動は、その時はそれが最善と思ってやっているので。
 
その行動を、どんな理由で、どんな選択をしたのか?
 
「私の不注意だった、私が軽率だっと」
 
選択は、どんな理由だったのかな?
 
を、振り返っていけばいいのかとも思います。
 
自分を悪
 
と評価してしまって、
不必要に自分を
 
批判したり、
 
責めたり、
 
罰したり
 
してしまっては、勿体ないのかな
 
と感じました。
 
いかがでしょうかね。
 
 


◇まとめ


 
日常生活を送っていると
さまざまな場面で予期せぬことが起こり、
 
不快な感情になることもあるでしょう。
 
そんなときに、いつも
 
 自分 や 相手を
 
 正しい、間違っている と
 
評価するべきか慎重に判断し、
 
かつ、
 
自分ができた、できる、できそう

なことを考えていくと
自分との関係も含めて、
人間関係の維持・改善を優先した
関わりになっていくと思っています。

 
いかがでしょうかね?

すべての人々のハッピーのために。
 
出展ブログ;HSコーポレション星野修の想い・志 より
 
参考文献:ラジオ「幸せを育む素敵な人間関係」宇都宮 民・愛媛選択理論研究会
 

IAIR認定アドバンスインストラクター  
複合的腰痛アプローチ 
IAIR Low back Pain Technology(ILPT) 
主宰 赤羽秀徳
  
 
追伸:

 まずは、「まるっ」とその状況を受け入れて…。